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教養の意義とは? [大学で学ぶもの―教養とは]

「大学で学ぶことは役に立たない。」

最近はこう言われることがとても多いです。
ですが、本当に大学で学ぶことは役に立たないのでしょうか?
突き詰めて言えば、わざわざ大学で勉強する必要はあるのでしょうか?

….否、もちろん、大学での学問はすごく役に立ちますし、勉強する必要もあります


いまの世の中では、即効性があって、学ぶ意味がはっきりしている学問が求められすぎているように思います。
ハウツー本なんかは良い例ですね。
人にうまく伝える方法!とか、
良い部下を育てる方法!とか、
英語がすぐに喋れるになる本!とか、
本屋さんに行けば、「実用」というコーナーなどですぐ目に入ってきます。
学問でいえば、
経済学、経営学、商学、法学は就職に強いと言われているので、
どこの大学でも概して偏差値が高いです。


たしかに、こうした即効性があって、学ぶ意味がはっきりしている学問も良いと思います。
しかし、そうでない他の学問も学ぶ意味はあります。
いわゆる「教養」と言われるものですね。
「教養」には即効性がなくても、「実用」的な知識に劣らない意味があると思っています。

大学で学ぶ「教養」といえば、
哲学、文学、社会学、心理学、文化学など多岐にわたります。


ここで一つ考えてもらいたいことがあります。
そもそも、「教養」とはどのような意味なのでしょうか。
改めて考えてみると、はっきり説明できないのではないでしょうか。

広辞苑第六版によると、教養の意味は、
「学問・芸術などにより人間性、知性を磨き高めること。」
だそうです。
みなさんも、これと近い答えを考えていただろうと思います。

しかし、私が考える「教養」の意味は違います。
私が考える「教養」は、江戸時代に使われていた用法です。
それは、「他人と分かち合うための知恵」という意味です。

私の体験で、この意味での「教養」を蓄えていて助かったことがあります。
私の活動の関係で、とあるジャーナリストを取材することになったときのことです。
そのジャーナリストはとても博識な方で、
大学を中退したものの、年間1000冊は書籍を読んでいると豪語するお方でした。
私は日常会話をしたいと思っていたのですが、
(後に聞いたところ、日常会話のつもりで話されていたとのことでしたが、)
デカルト、ニーチェ、ソクラテス、フロイト、ヘーゲルなどの偉人の言葉が次々と出てきて、
古典に弱い私は会話についていくのがやっとの状況でした。

例えば、こんな感じです。
「いまマスメディアは中立性、客観性を絶対のものだとアピールしているけれども、絶対の中立性、客観性なんて不可能だっていうのは17世紀にわかっているんですよ。デカルトが『われ思う、ゆえに我あり』という名言を残していますが、そういうことだと思いませんか?現にアメリカでは、絶対の中立性、客観性が不可能であるなんてことは17世紀に判明しているとわかっているので、各マスメディアごとに、共和党支持なのか民主党支持なのか立場を表明していますよね。…」

私は、こう言われても「たしかに」とか、「そうですよね」としか反応できずに居たため、
会話というより講義のようになってしまっていました。
どうにかしなければ…
と思っていたところでした。
こんな質問が来たのです。

「ところで、教養の意味って知っている?」

幸い、私は教養の意味を自分で調べて学習していたため、
「他人と分かち合うための知恵です。」
と回答できたのですが、
この「教養」がなければ相手にどんな印象を抱かれていたことやら…
こう回答できておかげで、相手のジャーナリストにも“少しは話が通じる奴だ”と思っていただけたようでした。
思わず「教養」の意義を痛感せずにはいられませんでした。


このように、「教養」には即効性はなくても、非常に大きな意味があるのです。
いつ役に立つかわからないのが「教養」なのです。

私が作った名言があります。参考までに。
自分の意見が否定され、相手のほうが正しいと自認しているときは、 プライドは傷付くかもしれないが素直に相手の意見を受け入れるようにしましょう。 もしどうしても納得して受け入れられないときは、理論を学んで、後日言い返せるようにしましょう。 後日でなく"いま"言い返せるようになりたければ、教養を磨くこと。

また、「教養」によって相手と分かち合うことができたときは、相手方が非常に喜んでくれることが多いです。
自分が興味を持っていることを、相手にもわかってもらえたらうれしいですよね?
「教養」は、相手に喜んでもらうための知恵でもあるのです。

他にも、とあるフリーライターが、お笑いタレントや映画監督で有名な北野武さんを
取材したときの話をしましょう。
北野武さんは、取材やインタビューにうんざりしていたのか、
はじめはうんともすんとも返事をしてくれなかったそうです。
やがて、北野さんが非常にマニアックなボクシングの質問をしたそうなのですが、
そのフリーライターはたまたま大のボクシングファンで、
その質問に答えることができたため、
北野さんを感心させることができ、良い取材につながったと言います。
北野さんは高校時代にボクシングをやっていたそうで、未だに興味があったのでしょうね。



もしかすると、お子さんも
「大学に行っても学ぶことがない、行く意味がない」
と言い出すかもしれません。

しかし、大学で学ぶ「教養」は思わぬところで力を発揮します。
「20代にもっと勉強をしておけばよかった…」
という声をよく聞きますが、そういう意味もあるのかもしれません。


最後に、古典について話をしておきます。
最近の学生はよく、
「古典は昔のことなのだから、読んでも得るものがない」
と言います。
東大生ですらそんなことを言うそうです。

しかし、古典が現代まで残っている意味を考えてみてください
日本文学の最古は古事記、
世界最古の長編小説は源氏物語ですが、
1000年以上も前の書物が現在まで残っているはすごいことだと思いませんか?
それなりに、意味がある内容だからこそ、廃れずに伝わってきたのではないでしょうか。
1000年も前となると、現在のような印刷技術はもちろんありません。
源氏物語は相当な長さなのですが、それを一語一句書き写していたのです。
それほどの労力をかける価値があったということなのです。

また古典と言えば、
ニーチェ、デカルト、カント、プラトン
などの哲学者を思い浮かべる人も多いかと思います。
当時の哲学者は、一生をかけて著書を書き上げています。
とてもじゃありませんが、私たちがファミリーレストランで雑談していて至る境地ではありません
19世紀はじめのヘーゲルは、「精神現象学」のなかで、
いまでいう「中二病」をストア主義、スケプシス主義、不幸な意識の3つに分類していたりしています。

ビスマルクの名言に、
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
というものがあります。
古典には、先人の知恵が詰まっているのです。

ぜひ、「教養」を学んでみてください。
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